大阪から淡路島、渦潮の鳴門海峡を渡り約2時間、車は阿波の国徳島に入ります。

日本三大暴れ川の一つ、四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持つ吉野川沿いを一路西へ、扇状地のはずれに、阿賛山脈の南側に阿波和三盆の郷、岡田製糖所さんはあります。

和菓子の品のあるやさしい甘さをうむ、和三盆糖。

現在は徳島と香川でしか生産されておらず、数軒ある阿波徳島の和三盆製糖所の中でももっとも規模が大きく、昔ながらに職人が手作りしているのがここ、岡田製糖所さんです。



「和三盆製造は、12月、原料の竹糖を搾ることから始まります。この作業が重労働で搾汁の機械がなかった昭和24、5年までは石のローラーを牛が回して搾っていたんですよ。

昨年まで使っていた古い機械がよく壊れましてね。そうなるともう大変。

搾汁作業が滞ると後の工程すべてとまってしまうんでね。

それでも昔は修理できる人がすぐ来てくれていたんですが、それもままなくなって、新しくしたんですよ。」


代表の岡田和廣さんは話をつづけます。

「昔から冬の間、山間から『締め子』と呼ばれる出稼ぎの方に住み込みできてもらい、朝も暗い頃から夜遅くまで搾っていました。

搾汁の機械ができてからもその名残りで朝4時から搾り作業をしています。ただ、今では作業が早いので、昼にはその日の搾りを終えてしまいますが。」


作業所前の広場に、むき出しで大量の竹糖が野積みされています。搾りの最盛期には広場一杯に竹糖が積みあがるそうです。

「下手にシートを掛けたりするとすぐ腐ってくるんですよ。乾燥させすぎるのも駄目ですし。本当は洞窟なんかに保管できればいいんですが。とにかく、腐る前どんどん搾ってしまわないといけないんで、毎日追いかけっこですよ。」

搾什したあとの搾り滓だけで毎日4トントラック2台分あるというから大変です。

搾り滓は、畑に戻され、竹糖栽培の肥料としてリサイクルされている。

栽培に農薬を使う習慣はないということなので、和三盆はエコで安全な食材といえます。


「竹糖の畑は阿賛山脈から南に延びる吉野川の扇状地にあるのですが、その辺りは日当たりはいいんですが、水はけが良過ぎて稲作が難しかったようで、竹糖を育てはじめたようです。

吉野川に近いところでも竹糖を作っていたことがあるのですが、逆に水っぽい竹糖になるんですよね。」



竹糖は徳川吉宗の時代にはじまる在来の品種で、沖縄や鹿児島などでみられる太茎種のサトウキビと違い、太さが人差し指くらいと細く、丈も低い細茎種のため搾汁効率はかなり悪いという。



戦前は大阪や岡山、広島あたりでも竹糖を栽培しているところがあったそうですが、絶えてしまったという。

そういえば、大阪の南部に住む祖父から、昔、砂糖キビを育てて砂糖を搾っていたと聞いたことがあるのですが、亡祖父も竹糖を育てていたのかもしれませんね。そう考えると高級砂糖である和三盆も身近に思えてきます。


さて、次回は岡田さんとともに、竹糖の搾什液を煮詰めていく「釜場」へと歩みをすすめて行きます。

2010年冬、ユノカでは、阿波和三盆を製造する過程で搾られる黒糖蜜を岡田製糖所さんからお分け頂き配合した冬の五島椿油石鹸”蜜椿(みつつばき)を企画しました。

阿波和三盆黒糖蜜と五島椿油の出会いを肌で感じてみてください。

◆岡田製糖所さんのサイトはこちら